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自分を知る からだ編 

今日はちょっと、自分の話。

私自身、小学校4年生位まで体が弱く、
小児喘息もあったし、頭痛持ちだったし、食も細くてガリガリだった。
小5くらいから喘息も治って、何故かよく食べるようになり、かなり改善したものの。
人より体力がない、持久力が無い、というのが20歳ころまでコンプレックスだった。
10代後半くらいの頃って、体力のある人で、
運動してないから体力がないんだ、もっと鍛えれば。
とかテキトーに言ってくる人とかも結構いて。
今でこそ、テキトーに言ってくる、とか自分も言えるけど、当時はそういう言葉も気になったり。

そんな中、学生時代に某編集部でバイトしてたのだけど、
アシスタントとして取材に行った、東洋医学の先生から聞いた話が私の大きな転機になった。

生まれ持った体質は変える事はできない。
でも、車で例えたら私みたいな人は、軽自動車。
元の馬力はないかもしれないけど、
スピードはそう沢山出さなくても走行車線で、高速道路を走って遠出も出来る。
ちゃんとメンテナンスすれば、長い年月走る事も出来る。
馬力のあるダンプカーでも、無理な運転を続ければ、短い年月で故障してしまう。
そんな感じだよ、と。
あなたも自分の体質を知って、無理をしないでちゃんとメンテナンスすればいいんだよ。
と。

もうこの先生の名前も憶えてないけど、
自分にとっては、本当に転機だったな、と思う。
この話を聞いてなかったら、無理して周りと同じように活動して倒れちゃう。
なんてこと、やっちゃってたんじゃないかな。なんて思う。

で、このことが頭にあったのは、
はーちゃんを育てる時にも良かったと思う。
大きな合併症は無かったものの、周りのダウン症の子と比べても体力もなく。
やっぱり小学校低学年くらいまでは結構風邪ひいてたし。
でも その事を私が気に病まないで済んだのは、
あの東洋医学の先生のおかげだな。と思う。

最近は はーちゃんも運動会の学年合同体育で2時間とかやって疲れると
「つかれました」と先生に伝えたりするらしい。
5年生になって交流級が4階になっちゃったので、そういう日先生が
『帰り会行きますか?』と聞くと、「疲れたので、行きたくないです」と答えるとか。
そういう時は4階まで上がるのも時間がかかって、やっと着いても終わり頃。
なんて事になってしまうので、上に行くのはお休み。
自分の体調を感じて、周りに伝えたれるのも、大事だよね。
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自分を知る、仲間をつくる 

4年生の後半くらいから、普通級の周りの子達と自分の差を
肌で感じて分かってきたような様子のはーちゃん。

1・2年生の時はまだ周りの子達もあどけなく、みんなじゃないけど
向こうからよく声をかけてきたり、一緒にハマッコで遊ぼうと誘ってくれる子なんかも居た。
でも、その頃は はーちゃんの方があまり仲良くしよう、という意思がなく。
子どもの精神発達的に、年少さんくらいの子は、まだ大人を介して周りと繋がる時期。
というのを、以前に幼稚園でもらって来た無料の雑誌で読んだこともあり。
幼稚園の頃、センターのコーディネーターさんに相談した時は
まだ周りの子も幼くて、はーちゃん的には自分の意思を言わなくてもくんでくれる
大人や年長者の方が好きなんだろう。なんていう意見もあり。
まだそんな時期なんだろうな、と思ってた。

で、3年生になったら、少しお話が上手になって、
周りの子とも話せるようになってきたのもあるのか
はーちゃん、普通級の子達と仲良くしたいという思いが出てきたようだった。
でも、3年生の女子といえば、仲良い子とグループ作って、
他の子入れない!みたいな時期でもあるし。
障害の事とかも、あ、なんか自分と違うな。という事に気づく時期で、
なんか変だぞ。とまずはなる。
それが次の段階として小学校5,6年生位になると、
ちゃんと話せば障害の事なんかも理解して受け入れられるようになる、と。聞いたこともあり。

そんなこんなでか、下駄箱や下校途中でも、声がかかる事もメっきり無くなり。
はーちゃんの成長と周りの成長が残念な形でずれてしまった感じだった。

それでもまだ無邪気だったはーちゃんは、周りの子達にかまってほしくて
交流に行った時、隣の子の背中を軽くだけど、ポカポカポカ!とぶってみたり。
話しかけた時、相手が書き物をしていて「これ終わるまで待っててね」と言われたのに
話したい方が勝っちゃって、相手の子の鉛筆取ってしまったり。
そんなしょっちゅうじゃ無かったけど、そんな問題も時々あった。
でも、本人が周りと交流したい思いがあるのなら、
勉強の時間での交流はほとんど無理になっていたので、
はーちゃんにも意思を確認して、4年生になってから
それまで週1回だった普通級で給食食べる日を、2回にしてもらった。
4年生の初めの頃は、給食で〇◯さんと話した、とか家でも報告してくれたり。
本人も楽しそうに過ごしていた。

で、4年生の後半になったら、普通級でのいたずらっぽい行動もすっかり落ち着いて。
集団活動でも、周りと同じように静かに参加できるように。
あ、空気読めるようになってきたのかな。と思ったり。
でも同じ時期。
最近、給食での話しないな、とふと思い。
「給食の時、だれかとお話した?」と私が聞いたら
自分に言い訳でもするように「食べてるから、話さなくてもいいんだよ」とブツブツ。
その少し後から、週2回にしてもらってた交流級での給食を
はーちゃん自ら、週1回は行きたがらなくなり。
きっと4年生の会話は、はーちゃんには難しくて入れないんだろうな。と。
先生も、どうしましょうか?と相談があったので、
本人の意思を尊重して、また週1回に戻してもらった。

その時は、一連の様子に、私は はーちゃんがかわいそう。とは思わなかった。
同じ年の周りの子の会話には、難しくて入れない。
それは事実だから。はーちゃんだって、自分の事は知っておいた方がいいだろうと思った。
自分が普通級の子達と違う事は、知っておいていいことだと思ったから。

そして、最近思うのは、自分と周りとの差を知るのも大事だけど、それだけでもダメだなと。
「仲間に入れない」という経験だけでは、やっぱり辛い。
はーちゃんには、はーちゃんの仲間が必要だな、って思うようになった。
人間だれしもそうだと思う。
はーちゃんがそのままで、仲良く出来る仲間。

支援級で、ここでも書いてたけど、1個上のお友達と仲良くしてて、
今でも放課後、時々遊んだりしてる。
そういう時間が いま大事だな、って。

やっぱり半年くらい前から、ラブジャンクスに行くのもとっても楽しみにしているはーちゃん。
金曜日の放課後はダンスの日。と分かっているので、
「きんようび、ダンス行く!」と自分から言ってくる時が出てきた。
4年生から6時間の日も増えて、去年まではナカナカ体力的に毎週は厳しいかなと思っていたけど。
最近はだいぶ体力も付いたし、何より本人のモチベーションが高いので、
多少疲れててもダイジョブなんだろうね。
大人の先輩達は「おつかれさま~💛」と声もかけてくれたりするし。
レッスン中に周りの子と話したりしてるわけじゃないけど、
なんとなく仲間だっていうのは、分かってるんだろうな。とも思う。

というわけで、これからは 
支援級の友達や、ダウン症の仲間との時間を大事にしないとな。
と思っている母でした。


本を読む 先輩の姿 

ちなみに、「本を読む」事を意識したきっかけがある。

隣町にある、小規模作業所にクッキーを買いに行った時。
ちょうどお昼休みの時間帯で、利用者さん達が休憩している様子が見えた。
その時、ダウン症の20代位の女の子が、本を読んでた。
多分、その子は漢字も読めるんだと思う。良く見えなかったけど
いわゆる普通の「本」だった。

それを見て、いいな~。はーちゃんも空いた時間に本が読めたらいいな。
と思った事。
もうちょっと小さい頃は、待ち時間が長い時用にポータブルのDVDプレーヤーを買って
トトロの映画や2人が好きなお笑い番組を見せたりもしてたんだけど。

その事が頭にあって、待合室に絵本が置いてないようなお医者さんに行く時なんかに
まず、のんちゃんに好きな本を選ばせて持って行くようになった。
そしたらのんちゃんがお出かけ前に、自分で本を選ぶ時に「はーちゃんもえらぼうよ」と誘って
はーちゃんも自分で好きな絵本を2冊とか3冊とか選んで持って行く時なんかも出てきて。

今はそんな時はDSを持って行くのが主流なんだろうけど。
我が家にはまだDSはない。
このまま、空いた時間には、本を読んで楽しんでほしいな。

10歳目前、気持ち新たに 

昨年は、はーちゃんとのんちゃんの送り迎えも必要なくなり。
結構ゆっくり過ごすことができて。
私自身、色んな事を考えることができた年でした。
そして私の中で、はーちゃんを育てる上で、心の中で革新がありました。

色々心に引っ掛かる事があったり、その事に向き合ってみたり。
そして心の整理がついた今、振り返ると
はーちゃんが3月に10歳を迎える、この時期に
こうやって考える時間やきっかけが自分に訪れたのは、必然だったんだと思う。


知的障害のある子供を育てるにあたって、
自分にとってそれは未知の世界だから、療育機関や様々な先生達の力を借りて
正に暗中模索という感じでやってきたと思う。

そんな中での、私の革新1。
周りと比べればゆっくりペースのはーちゃん。
そんなに「普通」に合わせないといけないのか?という迷いも心の奥底にはずっとあって。
でも社会に参加して生きて行く事が、人には必要なことだから。
迷いながらも進んできた。
でもね、「普通に合わせなきゃいけない」からじゃないね。
社会の中で、はーちゃんがより楽しく、より胸を張って暮らすために、だったんだ。
そう考えると、自分の迷いもスーッと消えた。

革新2.
最近何となく、お着替えとか、食事のマナーとか、集団の中でどう居るべきかとか。
そんな事が身に付いてきたはーちゃん。
で、母も中学、高校の進学先、その先の就労の事なんかが気になり始め。
そんな時、支援級で、高等養護の先生を招いての就労勉強会があったり。

なんとなく、親同士の話や指導の先生なんかと話してても
「一般企業へ就労することが、素晴らしいこと」のような、
一生懸命に努力して出来るならそうすることが、目標とすべきこと。
という風潮があって。自分もそうなんだと思ってた。

でも、高等養護の先生の話を聞いて、何か違和感があり。

いま知的障害者の就労に関わってる人たちは、
大人になってからでなく、学齢期から働くことを意識して学ぶ事が大事。
と考える人も多いみたいで、実際そういう塾的なものもあるし
勉強会なんかも色んなところであるみたい。

勿論、それは本人の事を考えてくれてるんだと思うし。
挨拶をちゃんとできる。責任感を持つ。とか
自分が大切にしてきた事と重なる部分も多いものの。
でも、自分はそれを「はたらくため」に育てたかったわけでもない。
人として、基本的に大切な部分だから、育てたかった。
普通の子だって、そうだよね。

私的には、働きたい場所は、はーちゃんが高校生の時に自分で選ぶものだと思ってた。
実際選べるほど作業所もないのかもしれないけど…。

なんというか、少なくとも
こういう作業ならできそうだから、就労目指して今からやっておきましょ。
と言われても、なんかさ、ピンと来ない。

高学年ともなると、下校時間も遅くなって、放課後あれもこれもはできない。
「就労」の話が耳に入り始めた当初は
放課後の貴重な時間をピアノの練習にほとんど費やして、これでいいのかな?
とちょっと迷った時期もあったけど。
ガツガツ勉強するだけが全てじゃない。

今までと同じように、はーちゃんがより楽しく、胸を張って暮らせるように。
人としての基本の部分を大切に。
そして、ピアノを弾くことを楽しんだり、本を読んだり。お友達と遊んだり。
そんな時間も人生を豊かにしてくれる、大事な時間。

やっぱり、働くことは、少なくとも高校生になってから考えたいよ。
はーちゃんと一緒に考えたい。
はーちゃんにも選べる力は絶対あると思うし。
その3年間で練習して間に合わないならさ、それはもう、いいんじゃないかと。
出来る人がやればいいんじゃないかと。
だってピアノだって、「すぐにはできないだろう」と言われてたことを
好きって気持ちで超えちゃったんだから。
本人が本気でやりたければ、その時頑張ると思う。

だから私は、はーちゃんが自分で選ぶ力とか
その事に向かって頑張れる力とか。そういうものがあればいいんだと思う。
そして、はーちゃんにはその力があるとも思ってる。
もし叶わなくても、挫折だって、必要な経験の一つなんだし。

今までは暗中模索で、言われたことをやってきたような感じだったけど。
今はやっぱり、「はーちゃんがやりたいと思う事」を大切にやっていきたい。
はーちゃんの力を信じて。
というのが、母の気持ちなのでした。


例えば普通の子でも、小学校や中学校を受験して進学校へ行って
東大目指して、国家公務員を目指して。という事を幼少期からやる人もいて。
それはすごく立派なことなんだろうけども。
私はそういう事を目指すタイプではないので。
それが正しいとか間違ってるとかいう事ではなくて、考え方、選択の問題であり。
なんかそれと一緒なのかな~。なんて思った私でした。
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ピアノのこと 

この間、はーちゃんの支援級のお友達、Aちゃんが遊びに来た日に
Aちゃんが「はーちゃんのピアノが聞きたいんです」と言ってくれたので
我が家のピアノでお披露目しました。
おうまの親子、いぬのおまわりさん、メリーさんのひつじ等、
童謡をはーちゃんが弾いて、Aちゃんが歌う。

ピアノをはじめた時、そして最近も、母の夢は
将来、グループホームに入る時、キーボードを持たせてあげて
それで同じホームのお友達と、はーちゃんのピアノで歌とか一緒に歌えたらいいな~。
なんてことでした。

「お友達とはーちゃんのピアノ演奏で歌を歌う。」
そんな夢が、小さな夢だけど、目の前でもう叶って幸せ気分↑↑↑

そんな、母の小さな夢。
でもその夢を達成するには、はーちゃんが音符が読めないとできない。


我が家に来てくれるピアノの調律師さん。たまたま、近親者にダウン症者がいるそう。
で、はーちゃんの事も気にしててくれてて。
調律師の仕事柄、ピアノの先生の知り合いも多くて、
障害者に教えている人も何人か知っているそう。
「最初の頃は音符を理解するのに、すごい苦労したんですよ~」なんて話をしたら、
その人の知り合いの先生達は、はーちゃんと同程度の知能の子には、
音符を教えない先生の方が多いらしく。
ようは、先生が弾いてるのを見て、目と耳でマネして曲を覚えるということ。
そうなんだ!聞いて、ちょっとビックリ。

私が知ってるピアノやってるダウン症の先輩は、2人とも楽譜読んで弾いてたし。
ただ、2人とも、障害児に沢山教えてる先生ではなくて、
はーちゃんと同じように、近所のピアノ教室に行ってる。

その時、楽しくピアノに触れて、弾く。ということが目的だったら、
音符を教わらなくてもいいのだろうけど、
私的には、将来的に仕事の都合とかでピアノ教室に通えなくなっても
余暇を楽しむ意味で、楽譜を見ながら、本当に簡単な曲で構わないから
1人で弾くことができたら。
そして先に書いたように、お友達とはーちゃんのピアノ演奏で歌えたらいいな。
という、ちょっとした希望があったので、
それを叶えるには、音符が読めないと、難しい。

しかし、ピアノを始めた頃のはーちゃんには音符の理解が確かに難しく。
もしあの時、習ってる先生に、音符の理解は難しそうだからやめましょう。
と言われていたら、私も「わかりました」と言ってしまってたろうな、と思う。

はーちゃんの先生は、ひらがなが読めるなら、音符も理解できるはずだから。
と言ってくれて、
出来ないことに取り組むから、レッスンで落ち着かないはーちゃんに
手を焼いて、大変な思いをしていたと思うんだけど、続けてくれた。

別に、音符を読まないで弾くのが、間違ってるとか
そういうことが言いたいわけではなく。
なんか偶然だったけど、自分の希望に沿った先生と出会えてたんだなぁ。
ということを感じた!

最近では、課題曲の練習の後、前に弾いた曲の楽譜を見ながら
1時間くらい1人で弾いている時もある はーちゃん。
自分でも楽譜を見て弾くことを楽しんでいる様子。

まあ、将来的に本当にはーちゃんが余暇でピアノを好んで弾くか
なんてことは、分からないし、そうしないかもしれないけどね。

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